うつ病
うつ病(大うつ病性障害)は、長期間にわたって抑うつ気分や興味・喜びの喪失が続き、日常生活に支障をきたす状態を指します。DSM‑5‑TRでは、これらの症状が少なくとも2週間以上続き、食欲や体重の変化、睡眠障害、疲労感、自己評価の低下、集中困難、希死念慮などの症状が伴う場合に診断されます。適応障害は、仕事や人間関係などの環境ストレスに対する反応として一時的に抑うつや不安が強まる状態で、原因となる出来事が明確であることが特徴です。どちらも怠けや気持ちの問題ではなく、誰でもかかりうる病気です。
統計と実態
世界保健機関によると、うつ病は世界で最も一般的な精神疾患の一つであり、全人口の約4%、成人の約5〜6%が罹患しています。世界全体では3億人以上がうつ病を抱えており、特に女性は男性より1.5倍程度多く発症しやすいとされています。妊娠中や産後の女性の10%超がうつ状態を経験すると報告されており、年間70万人以上がうつ病を背景に自殺で亡くなっています。うつ病は一度きりのエピソードで終わることもあれば、再発を繰り返すこともあり、双極性障害の抑うつ期として現れる場合もあります。ストレスフルな出来事、慢性疾患、遺伝的素因、孤独や貧困などが発症を後押しする一方、規則正しい生活や社会的つながり、早期の相談が発症リスクを軽減すると考えられています。
主な症状
代表的な症状には次のようなものがあります(複数当てはまる場合に診断されます)。
- 一日中続く抑うつ気分、悲しみや空虚感
- 以前楽しんでいた活動への興味や喜びの喪失
- 体重や食欲の増減
- 不眠や過眠などの睡眠障害
- 疲労感や倦怠感、エネルギーの低下
- 自分には価値がない、強い罪悪感などの思考
- 考えがまとまらない、集中力や決断力の低下
- 死や自殺について繰り返し考える
原因・リスク要因
うつ病の原因は一つではなく、遺伝的素因、脳内神経伝達物質のバランス変化、ホルモンの変動、過労や人間関係などの慢性的ストレス、幼少期の虐待やトラウマなど複数の要因が関係します。ストレスに対する脆弱性は個人差が大きく、親族にうつ病を抱える人がいる場合や性格的に責任感が強く完璧主義傾向がある人では発症リスクが高いとされています。女性では妊娠・出産や閉経などホルモンの急激な変動期にうつ病が生じやすく、産後うつや月経前不快気分障害として現れることがあります。冬季に発症する季節性情動障害や高齢者に多い身体疾患に伴ううつ状態など、特定の状況に関連して発症するうつ病もあります。適応障害は明確なストレス要因(仕事の異動、職場の人間関係、家庭の問題など)がきっかけとなり、環境の調整や時間の経過とともに軽快しやすいのが特徴です。
治療法
治療は薬物療法と精神療法の組み合わせが基本であり、重症度や個々の希望に合わせて選択します。国際的なガイドラインでは、軽度から中等度のうつ病ではまず心理療法や生活改善を行い、それでも改善しない場合や症状が重い場合に薬物療法を追加するステップケアが推奨されています。適切な治療を受けることで多くの人は回復しますが、治療法の選択は年齢や妊娠、身体疾患の有無、過去の治療歴などを考慮しながら行うことが重要です。
精神療法
認知行動療法(CBT)や行動活性化療法、対人関係療法、問題解決療法、マインドフルネス認知療法などの心理療法は、うつ症状の軽減に有効です。CBTではマイナス思考や誤った信念を現実的な考え方に修正し、行動活性化療法では楽しみや達成感を得られる活動に少しずつ取り組みます。対人関係療法は役割の変化や悲哀作業など人間関係のストレスに焦点を当て、問題解決療法では具体的な問題を小さく分けて対処法を見つけます。英国のNICEガイドラインでは、ガイド付き自己学習プログラム、集団認知行動療法、個別CBT、対人関係療法、カウンセリングなどを軽症〜中等症の第一選択とし、これらを8〜12セッション実施することが推奨されています。適応障害では、ストレス源の調整や休職、環境改善と併せて心理療法を行い、対処スキルを高めることで症状を軽快させます。
薬物療法
抗うつ薬には複数の種類があります。近年よく用いられるのは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)で、セロトニンの再取り込みを抑えて脳内のセロトニン濃度を高めることで気分を安定させます。主なSSRIにはシタロプラム(商品名セレクサ)、エスシタロプラム(レクサプロ)、フルオキセチン(プロザック)、パロキセチン(パキシル)、セルトラリン(ゾロフト)などがあります。国際ガイドラインではSSRIが最も忍容性が高く安全性が高いとされ、薬物療法を行う場合の第一選択とされています。
SSRIで効果が不十分な場合は、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)(デュロキセチン、ベンラファキシンなど)やNDRI(ノルアドレナリン・ドパミン再取り込み阻害薬)(ブプロピオン)、NaSSA(ノルアドレナリン作動性特異的セロトニン作動性抗うつ薬)(ミルタザピン)などが選択肢になります。韓国のエビデンスに基づくガイドラインでは、SSRI、SNRI、NDRI、NaSSAを第一選択薬として強く推奨しており、三環系抗うつ薬は副作用や過量服用時の危険性から routine には勧められません。ただし、過去に三環系抗うつ薬で良好な反応があった患者やメランコリー型うつ病では選択肢になることもあり、治療選択は過去の反応、併存疾患、費用を考慮します。
薬物療法を始める際には、効果が出るまでに2〜4週間かかること、初期に不安や睡眠障害が一時的に悪化する場合があること、改善後も再発予防のために6か月から1年以上継続することが必要であることを説明します。副作用には吐き気、下痢、口渇、頭痛、性機能障害、眠気や不眠などがありますが、多くは数週間で軽減します。薬を突然中断すると離脱症状や再発の危険があるため、医師の指示に従って徐々に減量します。ベンゾジアゼピン系薬は不眠や焦燥が強い場合に短期間併用されることがありますが、依存や記憶障害のリスクが高いことから長期使用は避けるべきとされています。
重症または治療抵抗性のうつ病では、複数の抗うつ薬を併用したり、抗うつ薬と気分安定薬や抗精神病薬を併用する治療、反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)や電気けいれん療法(ECT)などの生物学的治療を検討します。妊娠や授乳期には胎児や乳児への影響を考え、薬物療法の選択や継続を慎重に検討し、心理療法や社会的支援を優先することもあります。
セルフケア・生活改善
規則正しい生活リズム、十分な睡眠、バランスの取れた食事、適度な運動、信頼できる家族や友人との交流は回復を助けます。アルコールや薬物に頼らず、気持ちをノートに書き出したり、リラクゼーション法を実践すると症状の軽減に役立つことがあります。症状が長引く場合は早めに専門医へ相談してください。
日光を浴びる機会を増やすことや、散歩や軽いジョギングなどの有酸素運動を週に数回取り入れることは脳内の神経伝達物質を活性化し、抗うつ薬に匹敵する効果が得られる場合があります。また、他者とのつながりを保つことは孤立感を和らげ、感情を共有することで自己否定感の軽減につながります。趣味や創作活動、ボランティア活動を通じて達成感や喜びを得ることも大切です。セルフケアは治療を補完するものであり、病状が重い場合は医師やカウンセラーに相談しながら取り組んでください。
国際的なガイドラインと治療のポイント
うつ病治療に関する国際的なガイドラインは、症状の重症度と患者の希望を考慮してステップケアを実施することを基本としています。イギリスのNICEガイドラインでは、軽症から中等症のうつ病に対してまずガイド付き自己学習、集団または個別CBT、行動活性化療法、対人関係療法、カウンセリング、問題解決療法、運動プログラムなどの心理療法を提供するよう推奨しており、薬物療法は十分な心理療法を受けても改善しない場合や症状が重い場合に検討します。抗うつ薬を選択する際には副作用や過量服用時のリスク、過去の治療歴を考慮し、一般的にSSRIが第一選択となります。
アジアのガイドラインでも、SSRI、SNRI、NDRI、NaSSAを第一選択に位置付け、三環系やMAOIは副作用や相互作用が多いため日常的な使用を推奨していません。抗うつ薬を開始する際には、効果発現までに時間がかかること、副作用と用量依存性、治療継続の重要性を患者と共有することが求められています。特に若年者では薬物治療開始後に自殺念慮が増す可能性があるため、家族や医療者が注意深く観察し、必要に応じて迅速に治療計画を見直します。
妊娠や産後に発症するうつ病に関しては、ガイドラインは心理社会的支援や母子保健サービスと連携しながら、SSRIやサポートグループなどの治療を慎重に検討するよう指示しています。季節性情動障害では光療法やビタミンD補充、運動療法が推奨されることもあります。重症例や治療抵抗性の場合、ECTやrTMSなどの生物学的治療が有効ですが、必ず専門医が実施し、副作用や認知機能への影響を説明した上で選択します。
日本では独自の診療ガイドラインが作成されていますが、多くは欧米のエビデンスを踏まえており、患者の生活環境や文化的背景を考慮した柔軟な治療計画が求められています。うつ病は再発しやすいため、症状が軽快した後も数か月から1年以上の継続治療と定期的な経過観察が推奨されます。治療中は医師やカウンセラーとの信頼関係を築き、生活習慣や対人関係の改善を図りながら、焦らずじっくりと回復を目指しましょう。
参考文献
- World Health Organization. Depression. 2023.
- National Institute for Health and Care Excellence (NICE). Depression in adults: treatment and management (NG222). 2022.
- Canadian Network for Mood and Anxiety Treatments (CANMAT). Guidelines for the management of major depressive disorder in adults. 2016.
- American Psychiatric Association. Practice guideline for the treatment of patients with major depressive disorder (3rd edition). 2010.
- Korean Clinical Research Center for Depression. Evidence‑based clinical practice guideline for depressive disorder. 2021.
- 日本うつ病学会. うつ病治療ガイドライン. 2016.